ハマのドンの正体‼

カジノ

藤木幸夫氏(ハマのドン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤木企業の創業者である藤木幸太郎の長男

藤木幸太郎は明治25年に現在の横浜戸部に生まれた港湾事業家。明治末に神戸から横浜に来た酒井信太郎(後の鶴酒藤兄弟会の創設者)が地元業者の縄張り意識から孤立した際に「港で働く人間はみんな仲間だ」と一人だけ酒井を助けたが、結果としてここから運を掴み、また京浜の港湾も新しい時代に入った。神奈川県大百科にも写真つきで人物の記事があり、執筆者の白井秀次による藤木幸太郎の伝記のタイトルは異称でもある『ミナトの親父』。息子の自叙伝のタイトルが『ミナトのせがれ』。 ちなみに大正期の京浜の荷役業ではナイガイの賭場から博徒がテラを取らないようにする目的もあり親方が博徒となった例がある。その後は元請けとの関係もあり、多くは堅気になっているのが昭和初期の京浜の特徴である。このため藤木幸太郎も埋地一家初代とされているが、藤田五郎の『任侠百年史』の任侠家系図p 415では埋地ではなく浅田大吉(横浜の大親分である松本辰三郎の系譜)の系統にある。

埋地一家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

埋地一家(うめちいっか)は、神奈川県横浜市に本部を置く暴力団で、指定暴力団稲川会の二次団体。博徒系

つまり、藤木幸夫氏(ハマのドン)はウィキペディアによると「ヤクザの息子」という事となります。しかも博徒系です。

さらに詳しく調べますと、元々は藤木氏(ハマのドン)はカジノ誘致賛成だったという事です。「友人、知人、信頼する人などが、等しくカジノに魅力を感じ、横浜に誘致の風が吹いていた。私は、横浜から出ている偉い人(菅義偉官房長官のこと)に、『オレはやるよ』と、宣言した」という事です。故に当初は、新聞や週刊誌などのメディアにもカジノ誘致を公言していました。

ところが、心変わりするのは、カジノ依存症の怖さを専門家に聞くようになって、勉強会を重ねるうちに、「これはダメだ」と、確信し「パチンコや競馬などの公営ギャンブルが、時間をかけて勝負するのに対し、カジノは秒殺のギャンブル。依存すれば、人を殺してしまう」と、警告しています。

私が思うにこの偏見に満ちたギャンブル依存症の解釈は間違っていると思います。カジノが駄目で公営ギャンブルやパチンコはOKなど到底理解しがたい思考とは思いませんか?そこには深い闇が有る様に思えます。

親がヤクザという反面教師

息子であるハマのドンはヤクザではありません。日本の実業家として有名で経済界でも発言力もあります。しかし生い立ちがヤクザの息子という事で親父に嫌悪感を抱いていた事は想像に容易いとおもいます。その幼少期の体験が今日のカジノヘイトに繋がっているのではないでしょうか?親父が取り仕切る賭場で秒殺のギャンブル(チンチロリン丁半手本引など)に依存して落ちぶれて破産してゆく人々を傍目に見ながら育ち賭場=悪=カジノという図式が成り立ってしまったのではないでしょうか?

秒殺のギャンブルという誤解

カジノのゲームは特に秒殺ばかりではありません。時間をかけて勝敗が決まるゲームも数多く存在します。ゲーム性などを問うのであれば、むしろカジノゲームの方が公正で健全だと私は思います。むしろ依存性を高める要素が強いのは公営ギャンブルやパチンコの方で日常的に雑誌や新聞、番組やCMなど至る所に露出し、依存性を高める創意工夫しています。これを認めて、非日常的なカジノを毛嫌いするなど愚の骨頂と言わざるを得ません。

以上、【ハマのドンの正体‼】でした。





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